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第13回 鈴木可奈子ダンス公演『青時雨 aoshigure』について

更新日時2012.10.01

2012年6月30日、今年より本格的に運営を開始した小劇場アトリエみるめ(静岡市寿町)で、ダンス公演『青時雨 aoshigure』を見た。静岡県袋井市出身で静岡市を中心に活動するダンサー鈴木可奈子の構成である。鈴木は幼少よりモダンダンスの教育を受けていたが、アメリカ・ニューヨークでダンス研修を重ねるうち即興舞踊の方法に触発された。以降、即興を中心とした創作を行っている。

本作は、金子光晴(1895?1975)の詩「蛾」にアイディアを得たものだ。軍国主義に抗った詩人として知られる金子であるが、「蛾」を書いたのは1945年の終戦間近。空襲が増加する時勢の中、虐げられた者の精神を繊細にあらわにした。近代日本の行き詰まりの絶頂期に生まれ、戦後詩の萌芽を内包した詩である。これに影響された鈴木の言葉が公演パンフレットに掲載されていた。「波紋が波紋を呼び、新しい地にその足を差し入れる。/ぽたぽたとあおく滴る空間を疾走し乱舞する。/光の影でおもてとうらをとびまわる合間に波紋はかるがるとそのあおに溶け拡がる。」??鈴木の言葉では、時勢と個人の対立構造がより鮮明。明示されない主語は踊り手であろう。世界の波紋の間をぬって時空間を切り拓く、その躍動感が印象的だ。この言葉が本作を読み解く手がかりを与えてくれる。

通常の客席とは反対の位置に、コの字型に設置された客席。アクティングエリアは劇場空間を目一杯に大きくとった形となる。構成はシーンの断片による。こどもの服を眺めて哀しみの表情を見せる即興舞踊家(鈴木)と舞踏家(岡庭秀之)。2人が水の満たされた1?のペットボトルに赤と青のインクを注入すると、劇場空間の隅からスモークが湧き上がり、赤と青の光が照らされる。踊り手たちは、壁に張り出した鉄骨の上にのぼったり、丸太を転がしたり倒したり、じゃらじゃらと鳴る楽器で遊んだりしながら、ほぼ即興で踊る。所々で美術家(奥中章人)が床から天井までを貫くビニール製の大きい柱を動かし、竹笛奏者(森口紋太郎)がどことなく懐かしい旋律を演奏する。最後は鈴木が大きすぎるセーターを着る踊りだった。

鈴木の言葉が、波紋とあおい空間の、せめぎ合いと浸食に焦点を当てていたことを思い出してほしい。各自の即興は世界の波紋の間を飛ぶ蛾のようなもの。あおい空間を拓く。しかし「波紋はかるがるとそのあおに溶け拡がる」。ペットボトルの中の赤青のインクと劇場空間に広がる同色の照明は、微視的世界の発見がすぐに巨視的世界に変化するととれるし(あおい空間が波紋に浸食される)、冒頭で眺めていた小さいこどもの服と最後に着ることになるぶかぶかのセーターは、喪失を想起させる哀しみが自らこどもになることで拭われるととれる(あおい空間が波紋に浸食される)。その2つの浸食の間に、無数のあおい空間?身体や美術や音楽が滴らせるあおい空間が点在しているのだ。

舞台上に展開するパフォーマンスは偶発的にイメージをつむぎ、劇場システムの内部から抜け穴をあけるように見せて、それらの再編成を行うことになる。波紋から逃げるようにあおい空間を見つけながら、見つけたあおい空間を波紋に浸食される、というのは、近代という大風呂敷にあらゆるものがのみこまれていく、その寓意である。鈴木が大風呂敷の結び目に見出したのは、あおい空間を見つけるのに疲れたのか、あるいはもう余地が見当たらないのか、こどもとして生きる私たち自身の姿だったのではないか。

プロフィール

西川泰功(にしかわ・やすのり)
1986年生。ライター。芸術や書籍を題材にエッセイや批評などを執筆するほか、コピーライティングも行う。芸術批評誌「DARA DA MONDE(だらだもんで)」編集代表(オルタナティブスペース・スノドカフェ発行 http://ddm.sndcafe.net/ )。「西河真功」名義で創作も試み、小説『懐妊祝い』で第23回早稲田文学新人賞最終候補。

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