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第8回 「横尾歌舞伎」

更新日時2012.04.06

わが町の誇り横尾歌舞伎

「横尾といったら歌舞伎といわれるほど、歌舞伎は横尾の誇りだよ」そう力強く語るのは、保存会長の高井勇さん。横尾歌舞伎は二〇〇一年に地域文化功労文部大臣表彰を、二〇〇九年にはサントリー地域文化賞と県知事表彰を受賞するなど、その芸術性や歴史的価値が高く評価されている。

横尾歌舞伎は、浜松市北区引佐町の横尾、白岩地区に代々受け継がれてきた農村歌舞伎である。定期公演の会場でもあり、日々の練習の場でもある「開明座」は、井伊谷から奥山を経て新城市に抜ける県道三〇三号線沿いにある。

資料館や楽屋を備えた「開明座」は、鉄筋コンクリートの立派な建物である。この地域の人々が、どれほど歌舞伎を愛し、力を注いできたかを伺うに十分な造りだ。

毎年十月の第二土日に行なわれる定期公演は、いつも大勢の観客で超満員。舞台は観客の投げる花包み(おひねり)で真っ白になるのが特徴だ。

役者はもちろん、観客もよく心得ていて、演目の見せ場や山場では、掛け声と共に無数の花包みが舞台を飛び交う。まさに村全体で歌舞伎を育ててきた様子が伺える光景だ。

子供たちが出演する演目には、ひときわたくさんのおひねりが飛び交う。

寿式三番叟 宝の入船 吉岡鬼次郎は常盤の本心を探るべく大蔵館へ入り込む。(鬼一法眼三略巻 大蔵館奥殿の場) ダイナミックに斬り合うシーン(鬼一法眼三略巻 大蔵館奥殿の場)

江戸時代から続く歴史

「横尾歌舞伎の発祥は定かではないが、白岩地区に伝わる寛政六年(一七九四年)の御定書に『神事の節又は盆中に狂言、あやつり、或はにわか等決して致すまじき事』とあり、二百年前には歌舞伎(狂言)が上演されていたようだ」と高井会長は話す。

現存する台本の中には、安政三年(一八五六年)白岩の青年連が入手したと記されているものもあり、江戸時代から盛んに歌舞伎が行われてきたことが伺える。

江戸時代には横尾地区と白岩地区のそれぞれの祭りの奉納芸能だった歌舞伎だが、明治四十四年(一九一一年)に両地区の青年団が統合されたことで一緒に行うようになった。現在でも二日間にかけて歌舞伎を上演するのは、それぞれの村の神社で奉納してきた名残であるという。

近年、全国的にも農村歌舞伎が復活する例は幾つかあるが、横尾歌舞伎のように江戸時代から絶えることなく行われてきたケースは少ない。

残念ながら太平洋戦争中は、軍の宿舎として部隊が接収されてしまった時期があり、一時中断を余儀なくされたが、それ以外はずっと続けられてきたという。

大きく見得をきる役者たち(菅原伝授手習鑑 車曳きの場) 伝えられた台本。古いものでは安政三年(1856年)の台本も残る。 大きく見得をきる大蔵卿(鬼一法眼三略巻 大蔵館奥殿の場)

村が歌舞伎を、歌舞伎が村を作ってきた

戦中戦後の混乱期に一時中断した横尾歌舞伎だが、昭和二十二年(一九四三年)には再開された。地域の人々がみんなで作る歌舞伎が、戦後の復興や地域の連帯意識の回復に大きく寄与してきたことは言うまでもない。

高井会長は「昭和四十年(一九六五年)に保存会が結成されるまで、ここで生まれ育った青年は舞台に立つことが半ば義務付けられていて、これを怠ると風呂焚きの罰があったというぐらい、地区として歌舞伎を大切にしてきた」と話してくれた。

保存会が結成されてからは、個人の意思で参加することになったが、これも時代の成り行きであろう。しかし、自由参加となった今も、小学校低学年の子供から八十五歳の長老まで、六十七人が歌舞伎を盛り立てている。もちろん、それらの人々を陰で支える家族や周囲の助けも忘れることはできない。

長老の一人、野沢勝さんは「横尾歌舞伎は、かつらや衣装、小物、台本まで、全て自前で賄えるところが強味。化粧、着付け、舞台の裏方まで専属化、分業化され、全て会員の力で行っている」と力強く話す。

役者、太夫、三味線弾き、振り付け、道具の製作から配置、ポスター作りに至るまで、全て地区の人々の手で賄われているのも横尾歌舞伎の大きな特徴である。

他の力を借りることなく、全てを自らの手で行なえる技量を持っていたことが、途絶えることなく続けられてきた秘訣であることは言うまでもない。

少年少女による三味線の演奏。 見せ場では軽快な調子で拍子木が鳴る。役者との息もぴったり。 緞帳の裏側では手際よく舞台の準備が進む。すべて地区の人々で賄われている。

真剣な眼差しで化粧を施す。楽屋での一コマ。 着付けを行なっているのは子供たちのお母さん。 本番を控え、もう一度、台本に目を通す子供の役者。

役者の血を受け継ぐ子どもたち

歌舞伎は総合芸術である。物が揃い、裏方の息が合い、役者の演技が巧みで、さらに三味線などの音楽も上手くなくては質の高い芸術には成り得ない。そういう面からも、構成員の層の厚さは、横尾歌舞伎の大きな強みである。

毎年十月の定期公演はもちろん、二月には横尾歌舞伎少年団の公演があるが、常にクオリティの高い演技を披露してくれる。

驚くほどの長台詞も、途切れることなく演じきるところは、子どもといえど芸に対する妥協を許さぬ厳しさと練習の量の多さを物語っている。

公演を終えた野沢めぐみさん(小学三年生)に、「セリフを覚えるのが大変ではないか?」と聞いたところ、予想に反して「重い鬘だと頭が痛くなったり、お歯黒を付けると水が飲めないからしばらくつらいけど、セリフを覚えるのはそんな苦じゃない」と話してくれた。

また、「歌舞伎をやるようになったきっかけは?」という問いに、宮田咲夢さん(小学三年生)は「お姉ちゃんも、お父さんも、大きいお祖父ちゃんもみんなやっていて楽しそうだったから」といい、氏原吉野さん(小学五年生)は「私の家もお祖父ちゃんもパパも歌舞伎をやってきて、私も血を受け継いでいるの」と笑って答えてくれた。

子どもたちからこのような返事が普通に返ってくることからも、横尾という地域が、歌舞伎という芸能を通して、長年にわたり地域ぐるみで青少年を育んできた様子が伺えるのである。

本番を明日に控え、先生からさらに稽古を受ける。 先生の動作を真剣に目で追い、自分の演技を見直す。 横尾歌舞伎文化財少年団の公演を終え、あいさつする黒子姿の高井会長。

(レポート 鈴木一記)

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