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第9回 静岡浅間神社廿日会祭 稚児舞楽

更新日時2012.09.14

4月5日早朝、化粧の様子 浅間神社会館にある美容室はバタバタと人が出入りしている。奥には真っ赤な衣装を身にまとう子どもが鏡に向かって座り、化粧をされている。おしろい、真紅の口紅、おでこに描かれた白い月形の印。化粧を終えた他の子どもたちは専属のカメラマンに写真を撮られながら、無邪気にじゃれあい楽しそうにしている。二〇一一年四月五日、由緒ある浅間神社廿日会祭の稚児舞楽当日の朝の様子だ。

三月十一日に起きた東日本大震災からまだ一カ月もたたず、自粛が広がって静岡祭りは中止となった。しかし、稚児舞楽は天下泰平・五穀豊穣を願うもので、この日はそれぞれに祈りを込めながら稚児舞楽に向けて意識が集められていた。

ずっと昔から毎年奉納されている稚児舞楽。その歴史は家康の時代にまで遡る。慶長十八年(一六一三)二月、徳川家康が安倍川の西にある建穂寺へと桜見物へ出かけた時のこと、ここで演じられた稚児の舞に家康はいたく感激し、浅間神社の祭りで行うようにと申し付け、元和年間から浅間神社にて稚児舞楽を始めたと伝えられている。しかし、実際には、京都の公家である山科言継が、弘治三年(一五五七)に建穂寺や浅間神社で稚児の舞を見物しているという文献があり、室町時代にはすでに行われていたと考えることができる。このことを伝承と照合し、一度途絶えた稚児舞楽を家康が復活させたのではないか、と推測する学者もいるようだ。

静岡浅間神社 浅間神社会館にて、稽古の様子 稽古の最初と終わりに本殿へ手を合わせる

ともあれ、家康の時代からの稚児舞楽は駿府あげての年に一度の大祭となった。祭り当日になると建穂寺にいる稚児を迎えるため、駿府九十六か町の人々が山車や屋台を率い、安倍川の東側に集まった。一方、町の年行事は総門から建穂寺まで稚児を迎えに行くのだが、これが一筋縄ではいかなかった。迎えに行っても簡単には出てくれず、二度、三度……七度行っても断られ、八度目になってようやく来てくれるのだった。これを「七度半の使い」といい、七度半のお迎えを受けた四人の稚児は輿に乗り、建穂寺から出発して安倍川を渡った。まだ橋が架かっていない頃の一行は水の中を歩いて渡るしかなかったという。

2011年稚児舞楽を舞う稚児たち本来、稚児舞楽の稚児には建穂の子どもがなるものだった。しかし、江戸時代になると武士の子どもが担うようになり、明治時代になると裕福な町人の子どもがその役目を担った。現在では小学校高学年の希望者が稚児になることができる。二〇一一年の稚児を務めたのは、橘小学校の青島諒太郎君、服織小学校の村垣昂志君、付属小学校の岡部祐太君、賎機南小学校の内野颯人君の4人。三月二十三日から練習を開始し、約二週間毎日稽古を積み重ねた。学校はバラバラでも4人はすぐに仲良くなり、稽古のたびにもらえるお菓子袋の中身を交換したり、批評しあったりしていた。空き時間になるとみんなゲームに夢中になるが、自分の番がくると急に目つきが変わる。真剣な眼差しで師範の言葉をしかと聞き、細かい動きも確認していく。初めは失敗の連続でも、その成長はめざましく、回を追うごとにうまくなっていった。前半は稽古場で、四月に入ると舞殿の上で練習をする。

彼らに稚児舞楽を教える師範は2人、静岡浅間神社の権禰宜 廣幡行伸さんと草薙神社の宮司 森明彦さんだ。森さんは草薙神社へ戻る前は浅間神社で働いており、2人は二十年ほど前から稚児舞楽に関わるようになった。森さんは草薙神社へ戻ると、一度稚児舞楽から離れたが、廣幡さんに頼まれて再び師範となった。「廣幡さんだったから断れなかったんだよ。」といいつつ、熱を持って子どもたちに舞を教えている。現在では師範の後継者となる予定の福島麗司さんも加えて、3人で子どもから子どもへと稚児舞楽を伝え続けている。

呉服町通りを歩く古式稚児行列繰り返し練習してきた舞を披露する日がいよいよやってきた。
化粧が終わると、まずは建穂神社へと向かう。今ではバスで出向き、師範や子どもたちの両親も一緒に参拝する。続いて小梳神社へ移動。ここでも参拝し、その後に色鮮やかな古式稚児行列が出発する。子どもたちは自分の名前が書かれた輿に乗り、長い行列の中心となって運ばれていく。呉服町を通り、それから浅間通りへ。浅間通りを通るときには、「ようやく賑やかになったよ。」という声を聞いた。震災の影響で静かだった通りに花が添えられたようだ。

衣装の着付け浅間神社に到着してしばらく休憩すると、例大祭が始まった。稚児たちも列席し、真剣な面持ちでじっと座っている。そして、例大祭終了後の午後3時半頃、舞殿において稚児舞楽を奉納する時がやってきた。子どもたちは着付け室で幕府より賜った舞楽衣装を着せてもらう。着替え終わった子どもたちは待ちきれず、本殿の柱の影からそっと外の人だかりを覗いていた。いつもは元気いっぱいの子どもたちもさすがに緊張している様子だ。

稚児舞楽本番の様子振鉾舞殿で舞う演目は「振鉾」「納曽利」「安摩・二の舞」「還城楽」「太平楽」の5つ。舞い始めは「振鉾」。2人の稚児が鉾を手に持って舞い、天下太平を祈る。四方を清める呪術的な要素の強い舞だ。続いて「納曽利」。通常2人で舞うもので、雄雌の龍が遊楽するさまを模して作られたといい、「双龍舞」とも言われている。1人で舞う時は「落蹲」とよばれ、この稚児舞楽では「落蹲」で舞う。「安摩・二の舞」は稚児2人が笏を手に持ち、優雅に舞う。しばらくすると、黒い笑面と腫面を付けた爺・婆が登場し、稚児の舞いを真似て滑稽に舞い始める(二の舞)。太鼓の拍子も軽快になり、その拍子から「ズジャンコ」ともいわれている。この「ズジャンコ」は今でも建穂の人が演じており、昔から続いている浅間神社と建穂とのつながりを感じることができる。「還城楽」は一番難しい舞だ。蛇を好んで食べるという中国の西域の人が、蛇を見つけて喜ぶさまを舞にしたと伝えられ、1人の稚児が蛇を求め、舞殿中央の蛇を見つけると、歓喜するような所作で舞う。最後の舞「太平楽」は漢の高祖が、楚の項羽と酒宴を催した席上で項荘と項伯の2人の武将が剣舞を披露した故事を模した舞で、宮中では天皇陛下即位の大典などの特別な時に舞われる。2人の稚児が古くから伝わる太刀を持ち、勇壮に舞う。5つの演目を稚児たちは雄々しく舞いきった。会場からのあたたかい拍手。こうして二〇一二年の稚児舞楽は多くの人に見守られながら無事に終了することができた。

2012年春、稽古の様子季節は巡り、二○一二年春。再び静岡浅間神社廿日会祭の時期がやってきた。昨年からの経験者は3人。一年も経つと、どの子もひとまわり大きくなった印象を受ける。今年は渡邉丈航君という新メンバーが入ってきた。実は渡辺君のおじいさんも稚児舞楽の経験者。最初は敬遠していた稚児舞楽だったが、葵小学校主催で浅間さんにお泊りした時に稚児舞の話を聞き、「やってみたいなー」と思い始めたという。

稽古は本番より十日前の三月二十六日から始まった。経験者が3人もいるということで、稽古はスムーズな様子だ。「手ごたえあり!」と廣幡さん。渡辺君は初心者だが、とても熱心で、お母さんが稽古を毎回ビデオに撮っては始まる前と終わった後に一時間半、自主的に家で練習したという。稚児舞楽を舞うことは楽しいようだ。

五日、少し遅く咲き始めた桜は満開となった。昨年中止になった静岡祭りも開催するということで、昨年よりも活気を感じる。「振鉾」「納曽利」「安摩」「還城楽」「太平楽」。今年も5演目が美しく舞われた。

一年そしてまた一年と同じ日に稚児舞楽は舞われる。続いていくことが一番の願い、と廣幡さんはいう。「我々は一瞬。古く大先輩から伝わっているそのままの形で次の人たちに繋いでいきたい」と。

稚児舞楽当日 ズジャンコを舞い、会場がわく 渡辺君、太平楽を舞う

(レポート 小梅)

参考文献:「静岡浅間神社界隈の民族」

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