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第10回 寺野ひよんどり

更新日時2012.11.27

寺野ひよんどりとは…

浜松市北区引佐町渋川寺野。愛知県と境を接する寺野の集落は、旧引佐町の中でも北端に位置する。急峻な斜面に四十戸ほどが点在する静かな山村だが、今年四月に三遠南信自動車道が開通し、一気に交通の便が良くなった。寺野ひよんどりが行なわれる直笛山宝蔵寺、通称「三日堂」も、寺野インターを降りた、すぐのところにある。

寺野ひよんどりは「伽藍祭り」「片剣の舞」「両剣の舞」「矛の舞」「杵の舞」「粟穂の舞」「獅子の舞」「鬼の舞」など、数百年前からの演目を数多く残す極めて貴重な祭りで、国指定の重要無形文化財になっている。

奥浜名湖の北岸一帯には、この寺野ひよんどりをはじめ「ひよんどり」とか「おくない」と呼ばれる祭りが点在している。「川名ひよんどり」や「懐山おくない」などがそれである。うになったと考えられている。

これらの祭りは民俗学では「田遊び」「田楽」に分類され、年の初めに五穀豊穣や村の繁栄を願って毎年行なわれてきた中世以来の貴重な民俗文化である。「おくない」とは「行い」が訛ったものといわれ、中でも火を使う儀式が印象的な祭りを「火踊り」→「ひよんどり」と呼ぶようになったと考えられている。

また、それぞれの祭りが行われる御堂には「三日堂」「五日堂」「八日堂」という具合に、日にちを被せた呼び方があることから、これらの祭りは毎年お正月の三日から八日にかけて、各集落を廻るように行なわれていたのではないかと考えられている。

また、それぞれの祭りが行われる御堂には「三日堂」「五日堂」「八日堂」という具合に、日にちを被せた呼び方があることから、これらの祭りは毎年お正月の三日から八日にかけて、各集落を廻るように行なわれていたのではないかと考えられている。

伽藍様の前で厳かに行なわれる万歳楽

祭りの始まりに際し井戸水で身を浄める 堂内では松明を振って詞章が唱えられる。

寺野ひよんどりを復活させた人々

伽藍様の火を堂内に迎え入れる寺野ひよんどりは、今でさえ国指定の重要無形文化財になっていて、全国的にも有名だが、その伝承の道は決して平坦ではなかった。現在は毎年何百人もの見物客が訪れる寺野ひよんどりも、昭和三十年(一九五五年)から五年間途絶えたことがあった。

「戦後から高度経済成長期にかけ、一気に自由主義と欧米化の波が押し寄せ、村の有力者から、ひよんどりのような古めかしい行事は止めてはどうかという廃止論が起こった。そしてアンケートをとったところ、僅差で中止に決まってしまった」平成二十一年の暮れに亡くなった寺野の日本画家、伊藤信次さんは、当時のことをそう話してくれた。

伊藤信次さんは、ひよんどりの舞や寺野の風景、そこに暮らす人々をモチーフに多くの絵を描き、秋の日展に八回、春の日展に十七回も入選する芸術家であった。また、郷土の書籍の挿絵を手懸けるなど、地域の歴史や文化にも大きく貢献した。

伊藤さんは寺野ひよんどりが廃止と決まって間もなく、仕事で関西方面へ出掛けた。そのとき偶然、西浦田楽(水窪町)を取り上げた雑誌が目に留まり「ひよんどりは素晴らしい民俗文化なんだ!」と確信した伊藤さんは、村中の家を一軒一軒回って復活を呼びかけた。そしてその熱意に二十五人の有志が集まり、昭和三十五年(一九六〇)、寺野ひよんどりは奇跡的に復活を遂げたのだった。

生前、伊藤さんは話してくれた。「私は若い頃から絵を勉強してきた。絵の先生に東京へ出てこないかと誘われたことも何度もあった。でも、どうしても寺野から出る気にならなかった。なぜなら、代々の先祖が、寺野の村自体が、私を育ててきてくれたとから」と。

笛を奏でる手は、村人(農民)の手だ伊藤家所蔵の古文書によると、伊藤家の先祖は戦国時代に寺野へ入植し村を拓いたという。ひよんどりもそのころから始まったのではないかといわれているが、数百年にわたり村の歴史と共に歩んできた祭りが、自分の代で途絶えてしまうことが、とても耐え難かったのではなかろうか。取材に答える厳格な口調から、伊藤さんの強い意志を感じたことを思い出す。

ふるさとに誇りを持ってもらいたい

地元の人意外にも毎年多くの見物客で賑わう伊藤さんと共に寺野ひよんどりを復活し盛り上げてきた、現保存会長の松本勝雄さんも「ひよんどりが来ないと正月が来ない。家族や村の衆が集まって、新しい年を迎えられたことを喜び、互いの健康を確かめあえる。あのときひよんどりを復活できて本当に良かったと思います」と振り返る。

松本会長は続ける。「以前は世襲の舞や演目もありましたが、昭和三十六年に保存会が結成されてからは、それにこだわらず若手も積極的に参加してもらっています。寺野は自治会全体で協力してくれるので続けてこられたたんだと思います」と。

また「巫女の舞」や「三つ舞」は、昔から子供たちの舞いだったが、寺野の子供が減ってしまったため、近年は渋川小学校の三~六年生が舞い手を担ってきた。その渋川小学校も昨年度をもって閉校になり引佐北部小学校に統合されてしまった。

男根を模した採り物を持って舞う火の王の舞ともどき「昨年までは月に一度は学校に行って、三年生以上の子に舞を教えていました。できれば北部小学校にも協力してもらって、ぜひ、この貴重な伝統文化を未来につなげてもらいたいですね」と松本会長は話す。

今年、巫女の舞を演じた清水咲良さん(六年生)は「寺野ひよんどりの舞いは、ちょっと緊張するけど楽しい」と話し、昨年から練習に参加している鈴木凛音さん(四年生)も「練習はみんなでやるからいつも楽しいよ」と笑顔で話してくれた。

取材の最後に松本会長は「どこに行っても、私はいつも『寺野ひよんどりのある渋川寺野から来ました』と自己紹介します。今は寺野ひよんどりをご存じの方も多く、それが話のきっかけになったりします。今、舞を演じてくれている子供たちも、成長して社会に出たとき、自分の生まれ育ったふるさとに誇りや愛着を持ってくれたら嬉しいですね」と話してくれた。

保存会の若い衆も、自治会も学校も、一緒になって祭りを盛り上げている様子を見ると「ひよんどりは寺野の村そのもの。ひよんどりが寺野の村を作ってきた」と語っていた伊藤さんの姿を思い出さずにはいられない。

小学生の女子による巫女の舞 小学生の男子による三つ舞 若い衆と鬼が松明や斧などを持って舞う鬼の舞

(レポート 鈴木一記)

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