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第12回 大倉戸(おおくらど)のチャンチャコチャン

更新日時2013.03.19

大倉戸に伝わるコト八日行事

旧東海道の新居宿と白須賀宿のちょうど中ほど、南に遠州灘の大海原を望む台地の山裾に大倉戸の集落はある。旧東海道を新居宿側から西進すると、松並木が続き、旅人が休息した立場跡などが残る。その街道を挟んで両側に、今も古の東海道の風情が残る街並みが続いている。その大倉戸の集落で、毎年、十二月八日と二月八日に「大倉戸のチャンチャコチャン」という送り神の行事が行われている。

「物忌の日といわれる十二月八日と二月八日は、別名、コト八日と呼ばれ、毎年、疫病神を追い払う行事が行われてきました」と話してくれたのは、大倉戸の長老の一人、松本孔さん七十九歳。

「江戸時代の天明年間に、この辺り一帯で疫病が流行ったり、飢饉があったそうで、それを鎮めるために、疫病神を集落から追い払う行事としてチャンチャコチャンが始まったと伝えられています」と話す。

コト八日の日には、オンビと呼ばれる幣束状に切った和紙を付けた笹竹で家の中を払い浄め、それを玄関先に立てかけておくと子供たちが集めて回り、子供たちが村堺や海まで持って行って納めるという行事が各地で行われていた。

そのような行事をコト八日行事といい、静岡県、愛知県、長野県など東海地方で数多く行われてきた。湖西市新居町でも、昭和三〇年代までは周辺の松山地区、内山地区でも行われていたが、今は大倉戸を残すのみとなってしまった。

松本さんは「以前はオンビの付いた笹竹を門口に立てた後は、再び疫病神が家の中に入ってこないように、雨戸も大戸も締め切っておいたそうです」と話してくれた。

そして学校が終わった十五時頃、子供たちが家々を回ってオンビの付いた笹竹を集め、集落の中程にある恵比須神社に集まってくる。恵比須神社の境内には予めバンドブネと呼ばれる大振りな椿の枝が用意される。バンドブネには集落の中を引き回すために荒縄が取り付けられ、デックラボーと呼ばれる半紙を巻いた男女二体の藁人形が乗せられている。

軒先に立てられたオンビの付いた笹竹を子供たちが集めて回る。 オンビの付いた笹竹で、家の中を祓い浄めたあと、軒先に立てておく。

椿の枝を裏山から伐り出してきたり、藁を切って人形をこしらえたりする準備は、その年の区長と副区長が行う。今年度の区長を務める榊原松夫さんは自宅でデックラボーを作りながら「数年前の区長さんが丁寧に手順書を作っておいてくれたので助かりますね。副区長と一緒にそれを見て作ります」と話してくれた。

その年の区長さんと副区長さんが、デックラボーの顔を描く。

上級生が下級生を気遣い行列を先導

平成二十四年の十二月八日、神社に集まった子供は十四人。いずれも湖西市立新居小学校の六年生から一年生の児童である。子供たちは拝殿の前に整列し、区長、副区長、保護者が周囲を囲む。厳かな雰囲気の中で東新寺の住職によってお経があげられる。

お経が終わると子供たちはオンビの付いた笹竹を持ってバンドブネの周囲に丸くなって集まる。上級生が鉦を叩きながら「大倉戸のチャンチャコチャン」と大声で囃すと、下級生たちも「大倉戸のチャンチャコチャン」と大声で囃しながら、オンビの付いた笹竹で一斉にデックラボーを叩きつける。

ひとしきり叩きつけたあと、上級生がバンドブネを曳いて境内を出る。鉦、バンドブネそして笹竹を持った子供たちという順で行列を作り、角や辻で止まっては、先ほどと同じように「大倉戸のチャンチャコチャン」と大声で囃しながらデックラボーを叩きつける。デックラボーはあれよあれよという間にボロボロになっていく。

子供たちが恵比寿神社の境内に集まり整列する。 辻などで止まって「大倉戸のチャンチャコチャン!」と大声で囃しながらデックラボーを笹竹で叩きたつける。 笹竹で叩かれボロボロになったデックラボー

6年生がバンドブネを曳きながら町のあちこちを回る。バンドブネを曳いたり、鉦を叩くのは上級生の役である。滝本竜也くん(六年生)と松井誠和(まさと)くん(六年生)はバンドブネを曳きながら「十二月八日と二月八日はチャンチャコチャンをやる日と決まっていますから」「ボクも毎回必ず参加しています」と話してくれた。上級生は行列を先導するだけでなく、下級生が遅れていないか、車道にはみ出していないかと気遣いながらリーダーシップをとる。地域の行事が子供社会の秩序を醸成してきたことを垣間見る光景である。

こうして小一時間ほどで集落の隅々まで回り、行列は村堺まで達する。昔はそこから遠州灘までバンドブネを納めに行き、後ろを振り向かずに足早に帰ったという。しかし現在は、笹竹とバンドブネを軽トラに積み、子供たちにお菓子を配って終了となる。

町の境まで来たら、役員さんからお菓子をもらって終了となる。

家庭内の行事を伝える難しさ

松本さんは「昔はどの家でも八日餅というお餅をついて神棚にお供えしていました。でも、今はやっている家はほとんどないと聞きます」と話す。他の民俗芸能や伝統行事にもいえるが、家庭内で行われてきた地味な行事や祭りは、生活様式の近代化や欧米化によって急速に失われつつある。

農家や地域の商店など、地元で働く人が減ってしまったため、毎年決まった日にお餅をついたり神様にお供えするといったことも非常に難しくなっている。また、科学が進歩したことで神様の存在が希薄になったり、行事本来の意味が忘れられてきているのも否めない事実である。

「私たちが子供の頃は車の通りも僅かだったし、何より寒かったので、バンドブネを曳く子供は全速力で走りました。それからお駄賃にタンキリ飴をもらったことも楽しかった思い出です」と、松本さんはにこやかに話してくれた。

平成二十二年に新居町が湖西市と合併し、現在は湖西市の一部となった大倉戸。時代は流れても、行事を通して地域のコミュニティが深まり、貴重な伝統文化が未来へ継承されていくことを願わずにはいられない。

(レポート 鈴木一記)

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