第13回 田の神の子、タロッコが生まれる滝沢の田遊び
更新日時2013.05.27
この伝統芸能が伝えられる滝沢は藤枝市の山間部、瀬戸川の支流・滝沢川に沿う瀬戸ノ谷地区に位置しています。
「田遊び」とは、その年の稲の豊作を祈願する神事芸能のことを指し、各地の稲作地に同様な風習が見られます。地域により「田祭」「田植踊」「えんぶり」などと呼び名が異なることもありますが、その多くが(旧)正月(つまり作付け前)に一連の稲作作業を演じて神前に奉納し、「今年もこのように豊作を祝えますように」と、あらかじめ豊穣の神々と約束をとり交わしておくのです。
一般に、このような神事を「予祝(よしゅく)神事」といいますが、地域によっては実際の田植えの時期に行うところもあります。
太古、稲が日本列島に伝播してきたルートについてはいくつかの説がありますが、伝えられた稲作文化の中には豊作を願う祈りや祭礼も含まれていたことでしょう。それを根幹として、中世(鎌倉から室町期)に「鍬初め(くわぞめ)」「墾(ハ)ル田打ち」(墾ルは春に通じる)などの稲作儀礼が生まれ、やがて「田遊び」になったと考えられています。
また、模擬的に演じられる稲作の所作も地域ごとに様々です。たとえば、田打から始めることもあれば、田植作業からのこともあります。さらに籾播きで終了する簡単なものから、籾播き、田打、田植え、鳥追い、稲刈り、倉入れと、種まきから収穫までの一通りの農作業を演ずることもあります。
静岡県のある東海地方は・全国で最も発展した形を伝える地方・と言われ、籾播きから稲刈りまでを演ずる「田遊び」が多く見られます。この滝沢の田遊びも同様で、千秋万歳や猿楽、狂言を加えた高度な芸能として、さらに全国的にも珍しい特徴がある「田遊び」として注目されているのです。
最大の特徴は演目「孕五月女(はらみさおとめ)」にあります。演技中の五月女(早乙女)がタロッコと呼ばれる人形を筵(むしろ)に産み落とし、日扇を手にかざす子供たちがこれを取り囲みます。タロッコは「稲魂」を象徴し、新しく現れた田の神の子が日の子の祝福を受けていることを演出しています。
現在、人形が登場する「田遊び」は十九カ所で見られますが、それを産み落とすシーンは滝沢の田遊び以外にありません。
滝沢の田遊びが奉納されるのは当地の八坂神社です。祭神に素戔嗚尊(牛頭天王〈ごずてんのう〉と同一視された)を祀ることから、古くは牛頭天王社といいました。江戸後期、桑原藤泰氏が著した地誌『駿河記』(志太郡巻之四)にはこの滝沢・牛頭天王社の記事があり、「祭礼神事正月十七日、産子等数人鉢を冠にし、紙にて製したる狩衣を着し、薙刀矛の類を持躍り歌う。異風の神事なり」とあります。当時、この地誌の著者も神事の特徴を見て・異風の・と表現したのでしょう。
現在も子供たちに被せる冠を「ハチ」と呼びます。これはご飯を入れる曲物(まげもの)「めんぱ」に、鏡餅を載せた白い和紙を切って作るしめ垂れ状のもの(切子紙)をたくさん垂らしたものです。聖域を結界する切子紙で包まれることで、子供たちが・聖なる小さき子・となったことを表しているのです。
この田遊びには「孕五月女」以外にも「千万歳」「十六拍子」「田植え」など、子供(小学四~六年生の男子)による演目があり、昔から滝沢の男子はこの神事に必ず参加することとされてきました。つまり、「田遊び」が村の一員として認められるための一種の通過儀礼とされてきたのです。
子供たちは演目「田植え」で、ササラと呼ぶ長さ四〇センチほどの棒を苗に見たてて田植えを演じ、「千万歳」という演目で「ハチ」を冠って舞います。
「千万歳」とは、千秋万歳のことで、家の安泰と長寿を祝福する正月の寿福芸能です。また、滝沢の田遊びでは、国ぼめ、家ぼめ、宴ぼめと順次謡われ、仏法ぼめで結びます。ですから、かつてこの芸能が寺院芸能でもあったことがうかがえます。明治五年まで神社境内には薬師堂があり、田遊びはこちらにも奉納されたのかもしれません。ただ、明治初頭の神仏分離令以後、薬師堂は解体され、神社名も八坂神社に改称されました。舞人の白装束も、このときに改められたものと考えられます。



しかし、今も千万歳は「たのしたのしと 千秋万歳 きゅうきゅうやと 妙吉妙や おもしろや 京立ち始めに候いては 千年とは申せど 万年とは申せど 九百九十余歳に まかりなり候えば 国の数は六十六国 郡の数は九万八千 八百町……」と子供たちに謡われ、調子も昔のままです。よくぞ七〇〇年余も伝承されてきたものだと感動します。
今年(平成二十五年)の滝沢では、四年生が二人、五年生が六人、六年生が三人と、合計一一人が田遊びを舞いました。近年は子供が少なく、六年生の杉山岬陽(こうや)君、佐野真吾君、杉山陽二君の三人は三年生から田遊びに出ているといいます。
ただ、伝統的な稲作作業を知らない子供にとって、各演目の所作を理解することは簡単ではありません。田植えの場面でも、最初はみな腰高で、各自ばらばらだといいます。
今年は、本祭日が二月十六日(かつては十七日。三年前から十七日に近い土曜日)となり、十日が舞い始めと呼ぶ練習開始の日でした。


六年生の三人はもう舞えるせいか、口を揃えて「サッカーの練習ならうれしいけど、田遊びの練習は今ひとつ……」と言います。練習は十一日、十三日と続き、十四日は舞揃いと呼ぶ総練習です。大人たちと一緒に、演目順にそって舞います。
大人たちは、「将来、この中から田遊びの担い手が出てくれるといいなあ」と思いつつ、子供たちを見守っているのです。
(レポート しずおかの文化新書編集長 八木洋行)