ささえる、つなげる、創造する ふじのくに文化情報センター

ホーム > 子どもたちの民俗芸能 > 第18回 荒祭りと子どもたち ~・祭りとともに成長する~

第18回 荒祭りと子どもたち ~・祭りとともに成長する~

更新日時2015.03.20

子どもが大活躍

前回は、獅子木遣りの少女たちが荒祭りを経験して人間的に成長する姿や、彼女たちがやがて女子青年や母親としてこれを支える姿を通して、女性たちによって芸能が伝えられている様子を紹介しました。この獅子木遣り以外にも、荒祭りには多くの子どもたちが関わっています。祭りに先立って行われる氏子入りの行事「神ころがし」と「幟かつぎ」、また渡御行列で諸役を担う「神役」、中でも重要といわれる「四大神役」にも子どもたちが登場するのです。生まれて間もない子どもは、まだ不安定な、けれども穢れのない存在とされ、さまざまな人生儀礼を経て一人前になっていくものとされています。その子ども特有の行事や役割について、今回は見ていきたいと思います。

四大神役の一つである流鏑馬(焼津市歴史民俗資料館提供)

神ころがしと幟かつぎ

八月十二日の朝、赤ちゃんやよちよち歩きの幼い子どもたちが家族に連れられて焼津神社にやってきます。氏子入りの行事である「幟かつぎ」と「神ころがし」を行うためです。

幟かつぎに参加するのは三歳までの氏子の子どもたちです。かつては男子だけでしたが、現在は女子も増え、また氏子地域以外からも多く参加するようになりました。法被や最近流行りの魚河岸シャツを着ている子もいますが、黄色い足袋に青い手甲と脚絆、たすきがけに草履という昔ながらの着物姿の子どももいます。「焼津神社」と墨書された幟に子どもの名前を添え書きし、生まれてから三年間、荒祭りにこれを持って参拝し、祈祷を受けるのです。そして三年目には神社に幟を奉納します。

また幟かつぎの一年目には、神社境内で行われる神ころがしに参加します。これは、氏子総代が二人一組になり、一人は子どもの頭側、一人は子どもの足を持って、「あんえっとん、あんえっとん、あんえーっとん」と言いながら子どもを三回横転させる行事です。突然知らない人に体を回され、びっくりして泣き出す子もいれば、面白がってキャッキャッと笑う子もいます。大きな声で泣くと丈夫に育つともいわれ、なかなか泣かない子どもの親が氏子総代に「もう一回お願いします」などと頼む姿も見かけるほどですが、実は昭和二十~三十年代くらいまでは氏子総代ではなく、家族が境内の白砂の上で子どもを転がしていたそうです。この行事は昭和五十三年、獅子木遣りとともに「国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選定されました。

幟かつぎ(焼津市歴史民俗資料館提供)

神ころがし(焼津市歴史民俗資料館提供)

氏子入りの祝い

これらの行事は氏神に新たな氏子の加入を奉告する氏子入りの儀礼と考えられます。しかし、なぜ赤ちゃんを転がすのでしょうか。大声で泣くことも神様に存在を示す行為と思われますが、転がすことによって神前で土をつけることが縁起の良いことだとも考えられています。隣接する藤枝市岡部の若宮八幡宮にも「神ころばし」という行事があり、朝比奈川で身を清めた白鉢巻白腹帯姿の若者三十~四十人が境内でもみ合って倒れながら供物を献上します。こちらは供物に土をつけてから奉納するのです。

氏子入りに関しては、市内上小杉の八幡宮にも毎年十月の例祭で行われる神相撲と呼ばれる行事があります。神前でその年に生まれた子どもが相撲を取るのです。もちろんそんな小さな子どもが自分たちで相撲は取れませんから、それぞれの母親に支えられながら二回取り組み、一勝一敗、すなわちどちらも一度ずつ土をつけて終えます。

神役の子どもたち

さて、氏子となった子どもたちには、小学生くらいになると荒祭りに参加する機会が訪れます。渡御行列の神役や獅子木遣りに奉仕するのです。神役は御笛役や警固役、道具持ちなど約三十種類もあり、その選出基準は役によって「年行司地区から選ぶ」とか「十五~二十三歳くらいの青年」などと決まっています。子どもが担う役も多く、道具持ちはほとんどが小学生で、神役の中でも特に重要視されている「四大神役(御神子・御供捧・流鏑馬・猿田彦)」のうち、猿田彦以外の三役も子どもが担当します。現在小学校高学年の男子が務める流鏑馬は以前は青年の役だったそうですが、御神子(翌々年の年行司地区から選出)と御供捧(年行司地区から選出)は少女が務める神役です。

警固役の少年たち(焼津市歴史民俗資料館提供)

御供捧の供物献上

神輿の渡御は八月十三日、炎天下の氏子地区内を一日かけて練り歩きます。大半の神役の子どもたちは徒歩で付き従いますが、御神子と御供捧、流鏑馬は馬に乗っています。ただし、御供捧は本来、行列には参加せず、北御旅所に控えているものだとされていました。北御旅所は四ヶ所の御旅所のうちの二ヶ所目で、焼津神社の祭神である日本武尊が漂着したとされる海岸沿いの場所です。ここで御供捧は渡御した神輿に小麦飯・牛の舌餅・櫛形餅などの特殊神饌を献上するのです。この神事は非常に重視されており、渡御行列の一行も見物人たちも、静まり返って見守ります。真夏の夕方、それまで「あんえっとん」の掛け声にかき消されていたヒグラシの声が辺りに響きます。

北御旅所で神饌を献上するオンクササゲ(焼津市歴史民俗資料館提供)

御神子の神事

御供捧は小学校五年生くらいの少女が担いますが、御神子は小学校低学年の少女が務めます。平成二十六年の御神子は小学校一年生の豊島姫花ちゃんで、馬上にちょこんと座っている様子は大変可愛らしいものでした。御神子は焼津神社に参拝する時も大人に担がれて地に足を着けません。紙垂が付いた緋色の特殊な被り物を頭に被り、顔は見え隠れしています。実は「イチッコ(イチコ)」は巫女の別称で、神霊を憑依させてその意志を伝達したり、祈祷を行ったりする存在です。足を不浄な地に着けず、神霊降臨の依代となる紙垂を付けた御神子の姿は、まさに巫女なのです。

イチッコの被り物には御幣が付く

なお、市内保福島の大井神社の秋祭りにもイチッコと呼ばれる少女の役があり、昭和三十年頃までは馬に乗って神輿の渡御行列に加わったそうです。行列の出発前とオヤスミ(御旅所)で舞を舞うのがイチッコの役目でした。また、藤枝市の青山八幡宮の祭礼で舞を奉納する少女もイチコというそうです。

さて、御神子のもっとも重要な行事は、最後の御旅所である焼津御旅所の前の通りで行われます。この頃にはすっかり日も落ちて御旅所の提灯にも火が灯っていますが、御神子と、また一緒に行われる流鏑馬の行事を見るために、夜更けにも関わらず大勢の見物人が沿道に集まります。その通りを二度半(二往復と神社へ向かう片道)、御神子が馬に乗って駆け抜けるのです。この行事にどのような意味があるのか伝わってはいませんが、巫女の役割を考えると、神の意志を伺う何らかの託宣を行っていたのかもしれません。

イチッコ(右)とオンクササゲ(左)(焼津市歴史民俗資料館提供) 大井神社のイチッコ(焼津市歴史民俗資料館提供) 焼津御旅所前を馬で駆けるイチッコ(焼津市歴史民俗資料館提供)

祭りの担い手として

荒祭りは海の男たちの激しい祭りというイメージが強く、焼津のカツオマグロ漁が隆盛を誇った頃は実際にその通りでしたが、現在は女性も多く参加するようになったり、新港の整備により渡御順路の変更が余儀なくされたりと、祭りも少しずつ変化をしています。そうした変化を続けながらも、この祭りが連綿と伝えられてきた背景には、子どもたちが祭りに大きな役割を果たしてきたことも挙げられるのではないでしょうか。

唐櫃を運ぶ

氏子入りの儀式が祭りに際して行われ、穢れのない子どもだからこそ担える重要な神役があり、また獅子木遣りや種々の神役など大勢の子どもたちが参加する機会があります。祭りに参加した子どもたちには、真夏の一日を歩き通した充実感や、祭りの担い手としての自負が芽生えます。まだ参加したことのない子どもたちも、神輿を待ちわびる高揚感に包まれ、御笛や御神楽など青年たちの担う凛々しい神役への憧れを抱くことでしょう。こうして祭りに関わりながら子どもたちは成長し、年齢に応じた役を担ったり、それぞれの立場で祭りを支えたりしながら、この伝統をまた次世代へと伝えていくのです。

神社境内で激しく練る神輿(焼津市歴史民俗資料館提供)

参考文献
焼津市史編さん委員会『焼津市史 民俗編』焼津市 二〇〇七年
藤枝市史編さん委員会『図説藤枝市史』藤枝市二〇一三年
吉川祐子『静岡県子ども民俗誌 ハレの日の名優』静岡新聞社 一九九九年

写真
焼津市歴史民俗資料館提供

(レポート 川口円子)

文化芸術の総合相談窓口

ふじのくに文化情報への現在の登録件数

文化団体
275
アーティスト
73
文化施設
203
個人
72

登録はこちら

ご利用ガイド

ふじのくに文化情報

ふじのくに文化情報への登録はこちらから

静岡県文化情報総合サイト「ふじのくに文化情報」に、ご登録いただきますと、様々な形式での情報発信が可能となります。
詳しくはご利用ガイドをご覧ください。