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第19回 天宮神社の十二段舞楽

更新日時2015.06.15

一三〇〇年の時を超え伝わる

満開の桜が舞台を覆う四月の第一土日。天宮神社で、国指定重要無形文化財の十二段舞楽が奉納される。

天宮神社は遠州の小京都と呼ばれる森町にある。太田川と瀬入川の合流部に位置する山の先端に鎮座し、太田川の拓いた森町の平野を一望する高台にある。 社伝によると、天宮神社は欽明天皇のとき(約一五〇〇年前)に創建されたといい、慶雲二年(七〇五)の社殿造営のおり、藤原綾足が神官として赴任し、そのとき京人によって舞楽が伝えられたとされている。

実は、東海地方で舞楽が演じられているのは、名古屋市の熱田神宮と静岡市の浅間神社だけである。しかし、森町には天宮神社の他、小國神社、山名神社の三か所に舞楽が伝えられている。

満開の桜の向うに森の町並みを見下ろす天宮神社

古代の日本で行われていた舞楽は、大陸から仏教と共に伝わったものとされるが、宮中や大きな社寺で盛んに行われていた舞楽が、次第に地方に伝えられ、この森町にも息付いたと思われる。

現在は遠州の片田舎ともいえる森町だが、京の雅を思わせる舞楽が三か所も伝承されていることからも「小京都」と呼ぶにふさわしい品格を感じる。 また、天宮神社の舞楽には、中央では失われてしまった古い舞いが部分的に残っていることから、遠く中国大陸の深奥から、京を経て、この太田川の上流部まで、文化のシルクロードがつながっていたことを思わせる。

小國神社と対をなす舞楽

天宮神社の十二段舞楽は、四月十八日に近い土日に奉納される小国神社の舞楽と対をなすといわれる。

天宮神社の河合宮司は「演目や舞いの内容は、小国神社の十二段舞楽と共通する部分が多いのですが、微妙な違いが数多くあります」と話す。

「まず、それぞれの舞楽は伝来のルートが違うといわれています。天宮神社の舞楽は朝鮮半島を経由して伝わった・右舞・といわれ、小国神社は中国を経由して伝わった・左舞・といわれています。また、右方の天宮神社は装束や獅子頭も青が基調ですが、左方の小国神社は象徴的な色として赤が使われています」と話してくれた。

また、舞の所作やリズムにも違いがあり、小国神社の舞が速いテンポなのに対し、天宮神社はゆっくりとしたテンポで舞うという。

国家安泰、平和の世を願う

十二段舞楽は、一番「延舞」、二番「色香」、三番「庭胡蝶」、四番「鳥名」、五番「太平楽」、六番「新靺鞨」、七番「安摩」、八番「二の舞」、九番「陵王」、十番「抜頭」、十一番「納曽莉」、十二番「獅子」の十二の演目で構成されている。

最初に「延舞」で天地八方を祓い清め、日輪と月輪を背負う「色香」は、別名、菩薩の舞といわれる。そして「庭胡蝶」が極楽浄土に舞うぶ蝶の姿を、「鳥名」が極楽鳥の謳う姿を現し、「太平楽」で天下泰平と五穀豊穣、戦の無い平和を願うという物語が続く。

絆を強めた「天社轂」の存在

天宮神社の十二段舞楽を語る上で「天社轂」という若者の集団を忘れることはできない。「天社轂」とは、天社=天宮神社の、轂=まとまりを意味している。つまり、天宮神社を中心としたまとまり、という意味である。

天宮神社十二段舞楽保存会の鈴木会長は「天社轂の起源は古く戦国時代に遡ります。戦国時代の荒廃から復興した、氏神である天宮神社と、その氏子(住民)を守るために、天正十八年(一五九〇)に若者中心の自警組織として結成されました。以前は「若者」「若い衆」と呼ばれていたようですが、明治時代になって「天社轂」と命名され現在に至っています」と話してくれた。

また「昭和五十年(一九七五)に十二段舞楽保存会ができるまで、祭事の全てを天社轂が取り仕切っていました。現在は、舞楽の運営と舞人は天社轂が、笛や太鼓などの演奏と舞いの指導は保存会が行っています」とも話してくれた。

現在、天社轂の加入には三〇歳までという年齢制限がある。舞楽の練習日や当日には、大勢の若者が天宮神社に集まる。天社轂の存在が、町の人々の結束や絆を、今も強めていることを窺い知ることができる。

乙女舞を教える保存会の鈴木会長(右から二人目) 練習の合間に、みんなで食べる食事はは楽しい

舞人のDNAを受け継ぐ子供たち

さて、天宮神社の舞楽は、十二番のうち、一、三、四、五、六、十番の、ちょうど半分が子供の舞である。

また、今年(二〇一五年)は特別に、十二番の「獅子」も小学生の子供が演じることになり、三月十五日、森町文化会館で行われた子供舞台フェスタで披露された。

十二段舞楽は古式に則り、男子だけが舞うことができる。一、三、四番は、小学校の新三年生が四名。五、六、十番も、四名の新六年生が演じている。

一方、小学生の女子は、本殿で新二年生が乙女の舞を、新六年生が浦安の舞を奉納する。乙女の舞も天文十二年(一五四三)から伝わるというから、その歴史は古い。

舞楽も乙女舞もテンポがゆったりしているので、子供たちにはリズムが掴みにくくて難しい部分も多い。そのため、二月の中旬から週に二日、三月中旬からは週五日の本格的な練習がある。

一番「延舞」に登場した四年生 三番の「庭胡蝶」を優雅に舞う(四年生)
息もピッタリに五番「太平楽」を舞う六年生 浦安の舞を舞う六年生の女子

平成二十七年三月十五日、練習を取材したおり、舞楽は難しくないかと尋ねたところ、六年生の佐々木晟士くんは「最初は難しかったけど、今はそうでもない。それより良い体験ができた」と話し、同じく六年生の杉山遼輔くんも「舞楽は歴史があってすごいと思う」と元気に話してくれた。

その言葉通り、六年生の四人は、当日も本番を控え、舞台裏で自主的に舞いの打ち合わせをする念の入れようだ。

出番を終えた二人の六年生に感想を聞いてみた。遠藤優樹くんは「間違えずにできて良かった」と話したのに対し、富山巧大くんは「間違えなかったけど少し悔いが残る。次の舞は完璧にやりたい」と話す。そのしっかりとした会話に頼もしさを感じる。

本番を前に舞の打ち合わせをする六年生たち

子供たちの姿を眺めながら、保存会の鈴木会長は「この子たちの親の世代も、子供時代は舞楽を舞ってきました。この子たち自身も幼いころから舞楽を見てきて、自然と伝統を受け継いでいるのかもしれませんね」と微笑む。子供たちの姿に、舞人のDNAを感じる十二段舞楽だった。

本番を終えてリラックスする六年生たち。充実感が表情に出る

(レポート 鈴木一記)

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