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第8回 日本流 なぜカナリヤは歌を忘れたか

更新日時2016.02.05

本のタイトル
日本流 なぜカナリヤは歌を忘れたか
著作者
松岡 正剛
出版・発行
朝日新聞社
発行年月日
2000年3月5日
本体価格
本体2,000円(税別)

アートマネージメントの蘊蓄本とは縁遠い私なのですが、マネージメントの方向性を確認する上で重要な役割を担う本との出会いはとても大事なことだと思います。

ところで主宰する樂土舎・樂土の森アートプロジェクトを創設して今年で20年になります。唯々、継続という力を信じて愚直に取り組んだ数多の年月でありますが、目指す構想に辿り着くのには遠い道のりを要すことになりそうです。但し、その道のりそのものをアート・プロジェクトとして捉えることで独自で、かつ多彩な出来事の集合体になっているのかもしれません。

さて、「日本流 なぜカナリヤは歌を忘れたか」という本には創設して四年目に出会いました。著者の松岡正剛は編集工学という独自のジャンルを築き、日本文化の新たな視点にたった研究においても説得力を持つものでありました。膨大な情報量からのエッセンスを見事に結集し、昇華させた文章は内容もさることながら、その編集方法そのものに興味を覚えました。

例えばこんな文章が見当たります。要約しますと、古代語のスサビから「荒び」と「遊び」の系譜に至り、日本と遊ぶということは、みずからをも遊ばせるという意味に到達。スサビの重要な遊びのスタイルが「スキ」。数寄、好き、透き、漉きと進んで歌舞伎の起源「やりすぎ」へ。一方、和事のスサビは寂び、然びから侘びへ。はたまた、遊びの場に伴う「寄る」と「はぐれる」という同時性とその重要性などが連綿と綴られます。

当時はそんなに意識はしていなかったと思いますが、アートコミューンをつくるために協働行為として「ものづくり」を提唱していた樂土舎にとって、多くのジャンルのアートを集積させながら場をつくるという方向性に対しての指針になったのかもしれません。

[ プロフィール ]
マツダ・イチロウ
樂土舎・樂土の森アートプロジェクト代表。1957年袋井市に生まれる。70年代書家・書学者西林悠介(昭一)に師事、篆刻家田邊齋廬のもとへ通う。井上有一の書に圧倒され、安倍公房の演劇「イメージの展覧会」に衝撃を受ける。80年代渡米し、当時オディス・パーソンズ美術大学で助手であった美術家・間島領一の薫陶を受け、先端アートに出会う。帰朝後、新日本造形アトリエで版画制作。96年樂土舎創設。同年、田中泯と「御日待家」で遭遇。97年田中泯「A氏追悼の舞」に魅せられたことが契機で、その後の「場踊りシリーズ」が実現。現在、樂土舎・樂土の森アートプロジェクト代表としてプランニング、プロデュースにも関わっている。

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