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第1回「人口問題の由来と本質」②

更新日時2017.11.20

国の長期ビジョン~出生率が回復しても人口が安定するには時間がかかる~

人口減少、高齢化の進行、地方人口の消滅ということに対して、国は何もしていないのか、何もビジョンが無いのか、決してそんなことはありません。

これは国の人口の長期ビジョンです。

まち・ひと・しごと創生会議が出した将来の人口をこうしたいということで、こうなるとは言っているのではありません。

さっきの社会保障・人口問題研究所の推計と違って、ここではこうしたいと言っているわけです。合計特殊出生率が上昇した場合、と書いてあります。合計特殊出生率というのは初めて聞く人もいるかもしれませんが、女性の各年齢別の出生率を足しあげたものです。簡単に言えば、一人の女性が生涯を通じて産むであろう子供の数ということです。

これが今の日本の死亡率を考慮すると、だいたい2.1人、正確にいうと1人の女性が平均して2.07人産むと、人口は将来にわたって維持できる。わかりやすい話をすれば、夫と妻と結婚したカップルがいて、そこで子供が生まれます。2人子供が生まれれば親の世代と子供の世代と同数です。同じ数だから将来人口維持できます。その子供がまた結婚して2人ずつ子供を産めばずっと2人・2人・2人で世代が維持できます。

しかし、子供が生まれたとしても、小さいうちに死んでしまうかもしれないし、夫婦が離婚してしまうかもしれないし、あるいは結婚しない男女がいるかもしれない。そうすると2人ちょうどだと足りないのです。ですから2.1人くらい産んでおく、そうすれば人口も維持できますよというのが日本の現状です。先進国はだいたい同じぐらいの水準ですね。

 

合計特殊出生率がどのくらいかというと、一番落ち込んだのは2005年です。2005年の1.26というのが、一番低い水準です。今少しずつ上がってきて、1.4人ぐらいまで戻りました。だけどまだまだ2.1人からほど遠い、あと0.7ポイントぐらい少ないですね。

しかしこの仮定では、2030年に1.8人を目指しています。これを国民の希望出生率と言っています。これはアンケートの結果です。結婚している男女、それから独身の男女に、5年に一度アンケート調査しています。結婚と出産に関する意識調査です。そこであなた方は何人子供を持ちたいですか、或いは何人子供を産む予定ですか、という事を聞いているわけです。

それを平均すると、ざっくりいうと、9割の人が結婚して子供を2人産むという前提です。女性一人あたり1.8人、これを2030年までに達成しましょう。そしてさらに、2040年までに2.07に出生率を上げましょう。つまり、将来人口が維持できる水準まで出生率が上がったらどうなるか、と言っているのです。

 

そうすると先程の社会保障・人口問題研究所の推計ですと、2110年に4300万人まで減ります。しかし、出生率が2.07に戻ると、人口の減り方は小さくて済む。2060年に1億人維持できます。さらに21世紀の終わり、2100年ですけれども、だいたい9000万人ぐらいで安定してきます。9000万人で安定すればピークから2800万人くらい減るだけ済みますね。3分の1まで落ちなくて済む、だからそういう目標を達成しましょう、と言っています。それを目指していろんな政策を行っているというところです。

だけどこのビジョンには、今回のこの講座のタイトルである「人口問題から未来を発明する」という発想が無いんです。ただ出生率が上がったらこうなりますよと言っているだけ。

では、どんな社会作るつもりなのかというと、無いですよ。そこが問題。そこはまた後で皆さんと議論したいと思います。

出生率が上がれば安定するよねってことはわかりますよね。だから悪くはないんですけども、こういうことをするためにはどうしたらいいか、そうしたらどんな社会になるのかってことは我々が考えていかなくてはならない。と、ここまでは概説というところです。

 

日本の少子化:3つの「必然」

では、この少子化っていうことが起きてきて、出生数がどんどん減ってきた。私の仲間は270万人ですが、去年生まれた子供には100万人もお友達がいない、同期生がいない。これからどうなっちゃうんでしょうか。

実はこの少子化っていう現象は、日本だけが特別に抱えている問題ではない。ということを申し上げたい。むしろ、世界全体の問題というのが、次の課題です。

このセッションで3つのポイントについてお話ししますけども、私は少子化ということは起こるべくして起こったんだ、と考えています。

 

1番目はですね、人口転換です。

出生率というのは、国が豊かになれば下がり、死亡率というのは、国が豊かになれば下がるということ。出生率も死亡率も高い水準から低い水準に下がることを人口転換と言います。

我々が子供の頃は沢山子供が死んでいます。それから、当時では疫痢という病気があって、疫痢にかかって死んでしまう子がたくさんいた。夏に子供がたくさん死んでいたんですね。

今はもうそういうことは本当に少なくなりましたね。みんな健康で、子供は少ないけれどもよく育つ社会です。そうなったときにどうなるか、ということです。

 

それから2番目は、もう子供をそんなに産む必要がない、子供を産んでもかわいそうだ、或いは子供を産んだら大変だ。そういう意識の変化が起きてきた。

かつては子宝と言われたけれども、その子宝という意識がだんだんなくなってきてしまうというという変化がある。しかも、その背景には資源とか環境問題が意識の変化をもたらしているし、実は、国家目標として国は掲げなかったにしても社会全体が出生率を抑え込もうとした時期があります。これが、少子化の大きな引き金なりました。

それから3番目はですね、白井先生からの話で一番関係があるところですけども、日本の社会が特に現代の社会の中で、子供を持ちにくい社会になっているということですね。

これは制度の問題もあるし、意識の問題もあるし、社会環境の問題もありますね。明治時代、大正時代に生まれた人たちは、平均して5人子供を持っていました。それがだんだんと落ちてきます。そして戦後のベビーブームといっても4.5人ぐらいです。でも今と比べれば、4倍ぐらい子供を産んでいたということですが、急速にこれが落ちていきます。そして1960年前後のところで安定してきます。2.0というのはちょうどいいぐらいですね。安定してきます。

 

ただちょっと変動があります。昭和41年、1966年の丙午という年です。この丙午の年に生まれた人は、強い火の性を持っているという。丙午年の女の人は、非常に気性が荒くて結婚してもうまくいかない、旦那を食い殺しちゃうという迷信があって、その年の出生数を下げたので落ち込みがありました。その前後は山になっています。すぐ元に戻るんですが、安定した時代が続いて、2.1人ぐらいですね。

ところが1975年頃から落ち始めて、合計特殊出生率が2を割ります。そこからずっと2を下まわっていて、2005年に一番落ち込みました。今少しずつ戻りつつありますが、なかなかこの2.1という水準まで戻っていかない。

 

日本の少子化の原因は晩婚化、非婚化

どうして出生率が落ちたのかですが、これは非常にはっきりしています。

結婚している人はそこそこ子供を産んでいる。だけど結婚しない人が増えた、あるいは非常に晩婚化が進んだということですね。

こちらの図は出生率がまだ2.0以上あった1970年と2010年を比較したものです。女性の年齢ごとに、女性1000人について、子供が何人生まれたかを示しています。そして、1970年には25歳29歳のところがピークで、出生率が女性1000人について210~220ぐらいでとても高かった。それが、40年後の2010年になると、ピークは後ろにずれて、30代前半がピークになっていて、100を切っています。出生率は半分くらいに落ちてしまった。逆に30代後半以降の出生率はちょっと上がった。産むのが遅くなったということですが、20代の落ち込みが一番特徴です。

 

ところが右の有配偶出生率、結婚している女性の出生率です。配偶者がいる人の出生率は、そんなに大きく離れてないです。若いところでは、むしろ2010年の方が高いところがある。それから30代以降では、明らかに現代の方が高い。これだけ一見すると、2010年の方が高いように見えるくらいの水準です。

女性も男性もどちらも1970年から2010年まで結婚してない人の割合は非常に高くなっていて、晩婚化が進んでいますね。

右の図は生涯未婚率です。生涯未婚率というのは、もしかしたら男女差別と言われるかもしれませんが、国連でも世界的にやっていることですから、統計的なものだと捉えていただきたいと思います。男女とも50歳なった時にまだ一度も結構したことのない人の割合です。女性は50歳になると、ほとんど子供を産まなくなります。それがひとつの区切りですね。50歳の時点で結婚していなかった人の割合です。

男性は全国とほとんど一緒です。1970年には結婚しない人というのは、せいぜい2%だったんです。それが現在では10倍ですよ、20%の人が結婚しない。

女性の方はもうちょっと低く、1970年代には3%程度だったんですが、最近では全国の値は10%超えています。静岡ではちょっと結婚している人が多いけれども、8%ぐらいです。

特に男性に結婚しない人が増えたことは大きな問題ですね。

どうしてそうなったのか。結婚しにくくなった、或いは結婚する気がなくなったということが背景にあります。

さて、これが少子化の直接の人口学的な要因です。結婚したら2人は子供を産む。全く結婚しない人が増えた、或いは晩婚化が進んだ、これが日本の特徴です。

 

主要先進国との比較

この図は主要先進国の合計特殊出生率を戦後の期間5年ごとに示しました。日本は1950年、先進国の中でもまだ出生率が高い国だったんですが、その後急速に落ち込みました。そして、1975年で2.0を割り込んで、どんどん下がって、最近ちょっと戻りました。スペインを除くと他の国、いずれの国でも1975年から80年のあたりで、2を割り込んでいます。つまりいわゆる少子化が起きているという事ですよね。

 

スペインがちょっと遅れていますが、1980年代には2を割り込んでいます。ところが、違ってきたのはそのあとです。日本は先程見たように、まだ1.5以下の水面下です。日本、ドイツ、イタリア、スペイン、オーストリアの5か国は低い水準です。ところが一方ですね、1970年代後半に2を割り込んだんですが、あまり大きく沈み込まないで、しかも21世紀になって、水面下を浮き上がってきた国があります。それが、アメリカ、フランス、スウェーデン、イギリスです。

 

先進国も出生率で見ると、大きく二つに分かれてしまった。その背景に何があるでしょうか。私の考えでは、少子化、少子化と大騒ぎしている。確かに大変ですけれども、ある意味しょうがない面がある、さっき言った必然ということです。人口転換を示していますが、出生率と死亡率が明治以降、どのように推移してきたか言うことを示します。これは人口1000人について毎年何人生まれていますか、人口1000人について毎年何人死んでいますかということです。そしてその差が自然増加率です。

明治の1890年、人口動態統計ができてからの数字を示しています。国勢調査が始められたのは1920年ですね。それ以前の人口動態というのは、あまり正確ではないと言われているんですけど、死亡率は1920年代より前は20‰台で高い。けれども出生率はもっと高くて30‰~35‰くらいあった。毎年10‰、つまり1%くらいずつ人口増加していったという時代で人口増加率が高かったんですね。ところが大正期、1920年というのは大正9年ですけども、この頃から出生率は下がり始める。それから、死亡率も下がり始めます。戦争の時に混乱がありますけども、このときの落ち込みを線で伸ばしいくと1960年頃にぶつかり、大正期に起きた変化が終わります。出生率、死亡率の高い水準から低い水準へと到達しました。多産多死から少産少死の社会に移行する、人口転換が起きたというわけです。

 

水泳で飛び込みますね、飛び込んで一旦水面下に潜るわけですけれども、やがて浮いてきて、そこからどんどん進んでいくとなります。それと同じように出生率も一旦勢いで落ち込むんですが、そこからまた浮き上がってくると、そう考えたらどうかな、と私は思っているんですね。ある意味、勢いです。勢いで出生率がちょうどいいところで止まらないで、下がってしまうということを考えなくてはならないんではないだろうか、と思います。

これは世界各国と国連の推計から人口動態、それから世界銀行、IMFの国際通貨のデータから国民1人当たりの所得を米国ドルで示したものです。横軸が所得水準を10万ドル、1万ドル、1000ドル、100ドルと対数で示してあります。それから左側の図の縦軸は合計特殊出生率です。右側の図は、出生時の平均余命、つまり寿命です。日本は所得水準がそこそこ高くて、出生率は非常に低い。逆に死亡率は世界一低く、寿命は世界一高くて、所得水準はそこそこ高い。つまり豊かになると出生率は下がりますよ。或いは、豊かになると、死亡率は下がって寿命は延びますよ。かなり綺麗な配列をしていますね。

出生率と死亡率を取り出して図を作り直してみます。

出生時の平均余命、つまり寿命と、合計特殊出生率の関係です。さっきよりあまり関係がなくて、ばらつきがあります。ばらつきがありますが、寿命が短い国、死亡率が高い国は出生率が非常に高い。それから現代の日本の様に、寿命が非常に長い国は、出生率が低くなりますよ、ということですね。つまり、豊かになると人口転換が起きて、死亡率は下がります。だから出生率もつられて下がってくるということです。出生率が非常に落ちたということは、豊かになった証拠と言っていいと思います。

 

「静止人口」は国家目標だった

2番目の「必然」は、出生率を落とすということが国家目標になった時代があるということです。

1973年、昭和48年にオイルショックが起きました。第4次中東戦争が起きて、イスラエルとアラブ諸国の間で戦争が始まった。当時アラブの石油輸出国機構がアメリカの肩を持つ国には石油を輸出しないということを宣言して実行したんですね。

その当時、日本は今と同じアメリカの肩を持っていましたから、当然日本には石油が入ってこなくなり、日本ではオイルショックが起きたわけです。昭和48年10月に戦争が勃発して、その翌年にかけて原油の価格が4倍近くになりますけれども、それと同時に石油が入ってこなくなったというパニックが起きるわけですね。その翌年、74年に国は静止人口の実現を訴えているんです。

人口問題審議会という諮問機関があって、そこが当時の厚生大臣に対して報告書を提出しています。人口白書と通常言っていますけども、正式のタイトルは『日本人口の動向』というタイトルですね。サブタイトルにその中身がはっきり出ています。「静止人口をめざして」と書いてあるんですね。

静止人口とは何か、人口が増えも減りもしない状態です。

その前の年に第1次石油危機オイルショックが起きましたが、オイルショックと関係なしに昭和49年、1974年の8月に国連が、世界人口会議を開くことが決まっていたんですね。当時は世界の人口が爆発的に増加して、人口爆発が起きていて、世界人口が30億人台から、40億人になるということで大騒ぎになっていたんです。

何が原因かというと、74年という年は、日本の出生率がとても下がっていた年です。結果的に後になってみると、75年から2を割るようになる。そのくらい出生率が下がっていたんですけども、世界人口は年率2%~3%ぐらいの割合で増えているわけです。その原因は先進国じゃなくて途上国にあった。

途上国で第二次世界大戦のあと、独立した国がこれからいよいよ経済成長をしたいということで人口がものすごく増えた。地球人口がどんどん増えてくる。そこで国連は世界人口の増加を抑制したかった。

一昨年パリ協定で、地球温暖化を防ぐために二酸化炭素の排出量を、いつまでにこのくらい減らしましょうと、みんな約束したわけです。それと同じように当時は、人口をなるべく増やさないようにしましょう、そのために出生抑制しましょうということを特に途上国に訴えようとしたのです。だけど先進国も出生率は低くなっていますが、人口はまだ増えていますから、早くストップさせなくてはいけない。そういう事情があって、途上国に訴えるために日本も人口を減りも増えもしない状態に安定させましょうということを強く訴えたんですね。

 

ちょっとした試算が、この報告書の中にあります。出生率を、人口を維持できる水準よりも4%くらい落とすとどうなるかという試算です。それによると、昭和85年までは人口が増えます。そのときに1億3000万人ぐらいまでなります。しかしその翌年からは人口は減少に転じます。ということを予測しているんです。昭和85年、西暦に直すと2010年です。この時の予測では2010年がピークで、2011年以後人口減少に転じます。ほとんどその通りだったんですよ。だから本当はこの時のもくろみが見事当たったんだ。だから人口が減って困る、困ると言っていちゃいけなかったんです。その通り40年前のもくろみ通りになったんです。

 

ただここではそのあと人口減少してからどうやってそれを止めるか、安定させるかというところまではシナリオはなかった。だから我々はそれをやらなきゃいけないし、それをもうちょっと早くからやっておかなきゃいけなかったと思います。

こういう世界人口を抑制させるということを、国連主導で世界全体に訴えなきゃいけなかった理由、その背景になにがあるのか。

もちろんその前の年にオイルショックがありましたけれども、オイルショックがあったから大変というわけでは無いんです。そういう意識の変化は、それより前から起きていました。意識の変化は大きくて、まだ当時中国では毛沢東の政策が強く働いていた時代です。

だけど中国で一人っ子政策始めたのはいつでしょうか?1979年と私は思い込んでいたら、この前中国に行ったらいや、1978年ですと言われたんですけど、早いところでは、その頃から始めているわけです。つまり、毛沢東が亡くなった後すぐに一人っ子政策に転換します。当時、毛沢東は「人間には手が2本ある、口は一つだ」、だから食べる量は少なく、作る量は多い。単純ですけどね、そういう言い方で、人口問題はありえないって彼は考えていたんですね。人口が多ければ労働力が増えるから、十分に食べていける。そう考えていたので、人口抑制など少しも考えていない。

 

しかし現実は、そうではなくなっていた。食料不足が起きていた訳で、毛沢東が亡くなるとすぐに一人っ子政策に転換していくということです。世界的にそういう意識の変化がこの時代を中心に起きています。

 

一つ一つは省略しますけども、簡単に言えば、地球環境という概念がでてきて、地球環境が非常に悪化している、生活環境が悪くなりますと言われていました。

たとえば、『生と死の妙薬』という本が出版されました。現在は『沈黙の春』という原タイトルで出版されていますが、1962年にカーソンという人によって書かれています。これは農産物を増やすためにDDTとかBHCというような塩素系の農薬を沢山撒いたんですけども、その結果、虫が農薬に汚染される、それを食べた鳥も汚染される、卵を産んでも雛が孵らない。春になっても鳥の声が聞こえなくなった、そういうことを訴えたレポートですね。

 

日本では公害基本法(1967年)ができた時代です。『人口爆弾』という本も出されている。もうひとつ、宇宙船地球号という意識がある。これは1968年、私が学生だったころですが、12月24日にアメリカの宇宙船アポロ8号が月の上から、地球を眺めた写真を送ってきたんですね。非常にちっぽけで、何もない空間のなかに1人ぼっちでいる、こういう写真を送られてくると、なんて地球って儚い存在なのか、狭いのか、そこで人口が40億に向かって増えている。環境も汚染されている、どうなっちゃうんだろうという意識が芽生えてくるのですね。

非常に衝撃的でした。しかも、72年にはドネラ・H・メドウズというマサチューセッツ工科大学の人たちを中心にしたローマクラブの報告書が出ます。ローマクラブというのは世界の賢人会議です。タイトルが『成長の限界』。その当時の人口増加が続いたら、そして経済成長が続いたら、この地球はどうなるのか。つまり、資源がだんだん枯渇してきます。森林もだんだんなくなってきます。水も足りなくなります。いつごろどういう資源が無くなるのかと言うことをシミュレーションで弾き出した。

 

当時、石油はあと30数年で全てなくなるということを言いました。幸いなことに資源探査の技術が進んだりして、石油はまだ無くなっていませんけれども、いずれなくなるということは目に見えていますよね。石油とか石炭などの化石燃料は、地球環境を悪化させるという、当時はスモッグとか酸化窒素、酸化硫黄で環境汚染すると言われていたんですが、今はもっと怖い話で、地球温暖化に結びついていくということでその利用を抑制しようとしている訳です。当時はむしろ、資源の枯渇ということが大きな課題だった。その翌年1973年にオイルショックが起きる。またその翌年に世界人口会議が開かれて人口抑制ということが強く打ち出されて世界の世論になっていきます。その後国連でも持続可能な開発という言葉が1980年に生まれて、現在も重要な概念として皆に受け持たれるようになっている。

 

こういう人口爆発が続くとどうなるかという予測が、大きく意識を変えていったと思います。これが若い人たちの出生行動に影響してはいないだろうか。細かい研究はありませんけれども、私は非常に重要だと考えています。

 

さて、3番目です。先程先進国の例をお見せしました。70年代半ばに出生率が一斉に落ち込むんですけれども、中にはまだ水面下に沈んだままのところもあれば、水面の近くまで浮かんできたところがある、その違いは何かという話です。これは国連の世界人口白書から取ったものですから、台湾は含まれていないんですけれども、台湾も日本よりはるかに出生率が低くて、合計特殊出生率は1を割っています。中国、北朝鮮、タイ、モンゴル、スリランカは割合高い水準ですけども、2を切っていますから、いずれは人口減るということですね。中国についてはデータの信頼性に問題があると言われていて、実際には1.5くらいじゃないかという説もあるんです。そして、国連は中国の人口も2025年以後減少に転じると言っています。もう現に、生産年齢人口は減り始めていますね。ですから、人口減少はそう遠からず起きるということです。

講師プロフィール

静岡県立大学 学長 鬼頭宏先生

静岡県立大学 学長。静岡県生まれ。
慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。 上智大学経済学部教授を経て、2015年より現職。
静岡県人口減少問題に関する有識者会議 座長。美しい“ふじのくに”まち・ひと・しごと創生県民会議委員などを務める。
主な著書は、『人口から読む日本の歴史』(講談社)、『2100年、人口3分の1の日本』(メディアファクトリー)、『愛と希望の「人口学講義」』(ウェッジ)など。

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