第6回 キュレーションの現在-アートが「世界」を問い直す
更新日時2015.10.19
あったかもしれない歴史を示す術
現在ウェブではキューレーションサイトなるまとめサイトが盛況で多くの閲覧者を集めているようだ。爆発的増加を続ける情報を取捨選択して効率的に伝えてくれるこのようなサービスが現在必要とされるのは容易に理解できる。この管理者をキュレーターと呼ぶようだが編集者の域を超えておらず、エディターの言い換えといっても間違えではないだろう。もちろんキュレーターが行うキュレーションとは編集に留まるものではない。職業的専門的な言葉が世間一般に広がっていく時に多くの意味を剥奪されるというのはこの場合も当てはまる。では本来のキュレーションとは。本書はその疑問に簡潔な答えを与えているという点で入門書として重宝するだろう。
本書タイトルが「キュレーションの現在」とあるのは、27名の執筆者が芸術の現場で現在第一線で活躍していることによる。またこの書き手たちはいわゆる職業キュレーターだけでなく、アーティスト、批評家などがキュレーションについて述べていることも現在を感じさせる。各自が実践を通して得た率直な言葉が綴られているが、共通しているのはその定義を確定させるのでなく、変化を許容する態度ではないだろうか。そこにキュレーションの可能性と未来を見て取ることもできる。
これらの言葉が日本の美術界で広まりだしたのは90年代でまだ20年ほどである。これは世界がグローバル経済に突入したことと歩を合わせているのだが偶然ではないと思う。社会のパラダイムチェンジが起こるときに、芸術は批評性を発揮し何らかの返答をしてきたことは歴史が示している。現在それをリードするのがキュレーターであり、その実践がキュレーションではないか。
昨今多様性が叫ばれるのは、翻ってみれば世界が単純なレギュレーションに覆われつつあるからだ。それは歴史にも当てはめられ、多くのあったかもしれない歴史が失われていく。それに対抗する術としてキュレーションが有効だと本書は伝えている。ただし、本書の1章「歴史を編み直す」で言及されているように新たに生み出す物語にもまた脱構築される可能性を残すこと。この逆説的な効果にこそ、キュレーションの真価があるように感じた。
[ プロフィール ]
柚木康裕(ゆのきやすひろ)
オルタナティブスペース・スノドカフェ、GALLERY UDONOS代表。静岡発芸術批評誌「DARA DA MONDE」発行者。公共文化施設や教育機関との連携や様々な人が出会う「場」作りを通して、地域から発信するアートの支援活動を行っている。